ふらふら

7年前の今日あの時間、私はちょうど部活で浜のランニングをしていた、突然コーチが全員を集め「大きな地震が起こったので今日は解散」と言った。私は部活が本当に嫌いだったのでただラッキーと思いウキウキと家に帰る、いつもと違う時間に帰るというだけでなんだか興奮していた、いつもより早く帰ってきた私を飼い犬は嬉しそうに迎え、私はソファに座りテレビをつけた。画面では津波があの町並みを飲み込んでいた、凄まじいスピードで家屋を、街を流していく燃えたままの家が木片か何かのように流されていく、波の先端で車が逃げている、車が飲み込まれていく、ただ怖いと思った、思わず飼い犬を抱きかかえて離さないように抱きしめたのを覚えている。早鐘を打つ心臓、飼い犬を抱きしめたまま画面に釘付けになっていた

それからテレビはしばらくずっとACのCMが流れ驚くような早さで今日で7年が経つ、未だ問題が多い、あの出来事について何か言いたいことがあるわけではない、私はただそういう大きな出来事があった国にいただけの人間で、周りに被害にあった方がいたわけでも当事者でもない、極端なことを言えば他国の戦争をニュースで見る程度の立ち位置なのだ、ただ、あの出来事から逃げられずにずっとトラウマが残っている方も大切な人が亡くなった方もいる、7年前の今日の日付から更新が止まっているアカウントだってある、忘れないと言って忘れそうな人、別に非難したいわけじゃない、私だってそうなのだから、私達はあの頃から今も苦しみを背負い続けている人に対してその苦しみを理解する事は出来ない、あらゆる事で苦しみや悲しみは当事者にしか分からないから、だから、なんだろう、それは一緒に背負う事は出来ないけど、でも、せめて、絶対に分かった様な気持ちになるのだけはしないでいたい、ただその人が言いたかったら聞いてあげて言いたくなかったら絶対に聞かない、こうやって「震災」というワードを避けてこれからも私は暮らしていくのだろう。いつ私が当事者になるかも分からない、誰かへの偽善の様な気持ちとあの映像を見たときに心のどこかで生まれた興奮への罪悪感そういうのは、永遠に残る、と思う、もやもやとした気持ちはずっと